塩原温泉エリア
開湯1200年以上の歴史を持ち、古くから多くの旅人を癒してきた温泉郷。四季折々の渓谷美を見せる箒川(ほうきがわ)に沿って、11の温泉地が点在しています。明治から昭和にかけて、皇族や夏目漱石、谷崎潤一郎などの名だたる文人墨客が訪れ、今の歴史が残っています。多様な湯の色や泉質を持つ温泉だけでなく、取り組む自然や農村風景、高原ならではのグルメなど心身ともにリフレッシュできる温泉地です。
温泉をもっと楽しむ旅へ
塩原の魅力はなんといっても湯量豊富な温泉です。源泉数は栃木県内の4分の1を占める150以上、毎分1万ℓの湯が湧き出るまさに「源泉遺産」。また10種類ある温泉の泉質のうち、6種類の泉質が揃う全国的にもめずらしい温泉地です。温泉の色も7色あり、乳白色、茶褐色、黒色、黄金色、緑白色、薄墨色、透明と多彩。
体調や気分によって泉質の効能から選んでも良し、色やロケーションで入りたい温泉を選ぶのも良し。塩原だからこそできる温泉を選ぶ楽しみを、ぜひ体験してください。
塩原温泉は天然の保湿美肌成分、メタケイ酸が豊富な美人湯でもあります。メタケイ酸は肌の新陳代謝を促進してツルツルの美肌にしてくれるといわれる、温泉に含まれる美肌成分です。潤い肌用の化粧水や、しっとり系入浴剤などにも配合されており、肌のセラミドを整える作用が期待出来ると言われ、まだまだ研究中の謎を秘めた成分です。
メタケイ酸50mg以上は美肌の湯、100mg以上は美肌形成の湯と言われ、なんと約9割の宿がそれにあたります。また三大美人泉質(炭酸水素塩泉・硫酸塩泉・硫黄泉)が全て揃っているのも大変魅力的です。
四季絶景の渓谷美
塩原は日光国立公園に属し、険しい山々に囲まれて深い谷を作る箒川の渓谷美が大きな魅力です。長い年月をかけて大地を削ってきた箒川の流れに沿う塩原渓谷の美しさは、昔も今も人々を虜にし、野立岩・天狗岩・七つ岩といった景勝地を生み出しました。
また「滝と吊橋のまち」と言われるほど、滝と吊橋が多く点在し、渓谷はもちろん温泉街を散策してもあちこちで見ることができます。
長短さまざまな遊歩道も充実しており、紅葉・新緑、ぼたん・ゆり・ヤシオツツジの花々を四季折々で楽しめます。
その雄大な自然と清流な箒川を活かしたアクティビティも盛んです。日本最長クラスもみじ谷大吊橋からスタートするSUPでは、湖面からでしか見ることのできない景色と最大落差50m回顧の滝を真下から眺めたり迫力満点(春・秋のみの季節限定)。電動アシスト付き自転車(Eバイク)で巡るセルフガイドツアーでは箒川沿いの渓谷美の中を走りながら、竜化の滝へのハイキングなどを楽しめます。その他、リバーウォーク・カヤックなどのウォーターアクティビティに、トレッキングやボルダリングといったスポーツも。
塩原の美しい大自然の中で、思いっきり体を動かし身も心もリフレッシュできます。
歴史と文豪たち
塩原温泉は明治17年に栃木県令三島通庸(みしまみつつね)による塩原街道の整備開発以降、東北本線の西那須野駅開通を機に東京方面から塩原温泉を訪れる観光客の数が飛躍的に増加していきました。一般観光客のほか、明治時代には皇室が塩原温泉の福渡に塩原御用邸を構えれたことから、皇族・華族・政府高官・軍人・実業家等の来訪が多く、春の新緑、夏の避暑、秋の紅葉の時期には温泉街は大変賑わいました。
その多くの来訪者の中でも、当代一流の文人墨客(漢文学者・歌人・詩人・小説家など)がこの塩原の自然と温泉を愛したことは注目すべきことでしょう。尾崎紅葉、夏目漱石、斎藤茂吉、田山花袋、国木田独歩、幸田露伴、谷崎潤一郎、島崎藤村、北原白秋…実に多くの文人たちがこの塩原に遊び、感じ、癒しの情緒を漢詩、歌、詩、小説、紀行文に詠み込んでいきました。塩原には、それら文人たちの作品が石に刻まれ多くの文学碑が点在しています。
パワースポットめぐり
【塩原八幡宮・逆杉】
樹齢1,500年を超える「逆杉(さかさすぎ)」が御神木となっている塩原八幡宮。境内は杉の木立に囲まれ、本殿の隣には源有綱を祀った「有綱神社」があるほか、塩原七不思議のひとつ「一夜竹」、強い“気”を発しているという「気の大杉」、逆杉を育てた長寿の水「若水」が流れ込む池などがあります。本殿は那須塩原市指定文化財に指定されています。
【甘露山妙雲寺】
平安時代末期の寿永3年(1184)、源平の合戦に敗北をして逃れてきた平家一門の妙雲禅尼や平貞能の一行は高原山中に身をひそめ、やがて塩原の地に身を落ち着かせることとなりました。妙雲禅尼はこの地に草庵を結び、高野山より持ち出した平重盛の念持仏である釈迦如来を安置し、後の正和元年(1312)、佛国国師の弟子であった大同妙哲禅師によって甘露山の号を付して開山されることとなりました。幕末の戊辰戦争の舞台となった塩原では、旧幕府軍についた郡上藩凌霜隊が駐屯の後立ち去る際に全村焼き払いの命が下りましたが、住民の懇願により菩提寺は焼かれることなく現在に至っています。本堂内陣の宮殿とともに那須塩原市指定文化に指定されています。
皇室に愛された塩原の地
【天皇の間記念公園】
明治35年夏、時の皇太子殿下(のちの大正天皇)は避暑のため初めて塩原温泉を訪れました。そして、翌年の夏も塩原で過ごされ、塩原の自然、気候、温泉等を大変お好みになられました。そのため、福渡の地に別荘を構えていた三島弥太郎子爵(のちの日本銀行総裁)が、その別荘地献上を宮内省に願い出て、明治37年に「塩原御用邸」が構えられました。
戦後御用邸は、視力障害者の社会復帰施設として使用するため厚生省に移管され、昭和23年には国立塩原光明寮が開設、昭和39年には「国立塩原視力障害センター」と改称し、施設の増改築により旧御用邸の建物は解体されました。しかし、塩原の住民たちから「天皇の間」と呼ばれ親しまれていた御座所においては原型のまま保存されることとなり、昭和56年に厚生省より払い下げられて、現在の場所に移築し、「天皇の間記念公園」として一般に公開されるようになりました。建物は栃木県有形文化財。
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